どうも、M@moruです。
前回は中学校までのお話でした。
そんな私ですが、一つのピンチを迎えます。
高校入学が「学力的にヤバイ」と三者面談で散々言われました。
その後、親からも散々言われましたw
「せめて高校は出なさい」・・・と。
明確な時期は忘れましたが、気が付けば週6日で塾に通いました。
具体的に将来何をしたいとかって考えてなかったし、どうするものかって知識もなかった。
中学の同級生は私学の有名どころを目指す人ばかりだったし…。
きっかけは覚えてないけど、「コンビニをやりたい」ってのが出て来たみたいで商業科を受ける事に。
当時は「コンビニ」がまだ主流じゃなかったし、今みたいな世の中になるとも思ってなかった。
良く言えば「先見の明」は有ったのかもしれないけど、参入してない時点で絵に描いた餅であることは重々承知の上ですw
なんだかんだで高校については学校推薦が貰えたので無事に入れました。
今でも明確に覚えているのは入試が「掛け算とか簡単な漢字テスト」だった事が何より衝撃でした。
※後で「名前さえ書けば受かる」とまで言われるような学校だと知った。
私が入学した高校の商業科ですが、当時は全国的にも珍しく学内に「学生が運営するコンビニ」があり、新聞や雑誌の取材なども複数ありました。
そこに入学して衝撃的だったのが「ヤンチャな男女の集まり」だったクラスメイト達ですw
茶髪・ロン毛・ピアス・ミニスカ・ルーズソックス・原付通学…など。
※アムラーや池袋ウエストゲートパークなどが流行っていた世代。
中学の卒業式の時に「お前、あそこ行ったら終わるでw」ってジャイアンに言われた事を思い出して「そういう事か」って納得しましたw
でも、ハッキリ言って「良いヤツばっかり」で今でも交流があるのは高校時代の友人ばかりです。
そんなファンキーなメンバーで更に女子31名・男子9名というクラス構成で「女子の逞しさ」を学んだ3年間でした。
そりゃ、色々なトラブルに巻き込まれたり「金属バットで打たれるボールの気持ち」を学んだりする出来事も有りましたがw
とにかく中学が学校的にも超真面目だったので高校が緩すぎてヤバかった。
高校1年の時はテストもトップクラスでしたが、緩い環境に居るとダメになる典型で私も緩い流れに流され、最終的に「出席が足りず卒業がヤバイ」とこまで。
卒業するために近くの由緒あるお寺か何かの掃除をさせられた事も覚えてますw
ちなみに卒業出来たのは所属していた学校内でも真面目で有名なハンドボール部で、不真面目さが目立ちながらも部活だけはちゃんとしていたからだそうです。
唯一の自慢といえば高校2年の校内20kmマラソンで優勝した事で、これも卒業に一役買ったらしいですw
ハンドボールでは身体のあちこちをボロボロにしたけど、一先ずやり切った感はありました。
一回、退部したんですけどねw
目標の近畿大会やインターハイに行けなかった事は非常に残念でしたが…。
部活引退したら「自主的単位制」みたいな形になり前述したように出席日数がギリギリになり、やっぱ反動ってすごいなって。
燃え尽きた感?みたいな。
そんな不真面目で楽しい学生生活を過ごしてきました。
…が、お約束の次なる壁がやってきます。
そうです。
「卒業後の進路」です。
これも様々な葛藤がありました。
何となく書いてきましたが、結構書けるもんだなって自分で感心しましたw
一先ず、ここまで。